やまのあな

以下、日記置き場。
過去ログ溜まったら適当に消します。ウェブ魚拓もご遠慮ください。

 

20250131
昨日の日記途中でアップしてたから直した。数日前、玄関で出かける準備をしていたら家の前を通りかかった親子らしき影の小さいほうが突然立ち止まって「この家だけ古すぎるんじゃな~~~い?」と大声で叫んだ。鉢合わせたら気まずいので、数分の間をおいて外に出る。東京のときに住んでたマンションは、散歩中のカップルみたいな人たちが「なにこれ、ラブホ?」「やばくない?」って言いながら立ち尽くしている横をすり抜け鋼鉄のでかい門をギギィと開けて入っていくのが当たり前だったので、その頃の気まずさに比べたらだいぶ良い。
「新しいほうが良い」みたいな常識って今もいくらか残ってるけど、1980年代をピークに衰退したんじゃないかと思ってて、それは高度経済成長を実現するために都合の良い、一時的な流行だったように思う。前に新鑑真っていう船に乗って上海に向かっていたとき、電波もないし散歩もできないし50時間くらい暇だったから同じ便に乗り合わせた広州出身のおばちゃんとずっと喋ってた。その会話の中で「あなたは古くても作りが良い服を着ている。わたしたちはチープだとしても新しい服を着ている。」って言われた。それについてどう思うか、みたいな部分についてはふたりとも一切触れなかったけど、すでに何時間も喋ってたから互いに「豊かさの評価軸が違うだけで、自分も好きにするし、他人も好きにすりゃ良いよ」みたいなことを思ってるってわざわざ口にしなくてもわかってた。そのとき俺は東洋エンタープライズの別珍のスカジャン着て、下はリバースウィーブのスウェット穿いてたんだけど、たぶん両方70年代のやつで、しかも相当使いつぶしたボロボロのボロだった。そのまま上海に上陸して、バスとか電車で西の果てまで行ったんだけど、移動中のバスや飲食店で「I like your style」みたいなことをわざわざ言いに来た人が何人もいた。日本の古着ブームってアメカジ中心で、その背景には欧米憧れの影響が確実にあると思う。中国は国際情勢的にその辺の影響を受けにくくて、アメカジみたいなのも流行ってなかったし、今も古着の輸入を禁止してるからヴィンテージ古着は入ってきにくい。なんか古着=死人が着てたやつかもしれない、っていう意識があって好まれないっていうのも聞いたことがある。うちの母も昔はそういうことを言ってた気がする。それは羅生門の読みすぎや。
この話は長くなるからまあそれはそれとして今日の日記。月末なのでお金数えたりの事務作業。途中までやってあったからすぐ終わった。そろそろ真面目に活動しようと思って、スプレッドシートに自分のためのタイムカードみたいなシステムを構築。どうせ続かないけどとりあえず明日から使ってみる。この日記もどうせ続かないけどって思いながら始めてもうすぐ3年になる。去年書いた日記の文字数は25万3467字だった。URLや簡易タグ抜いても24万字くらいになると思う。くそつま本はたしか5.7万字だったから、単純計算で4冊いけたことになる。普通の厚みの本なら8万字として3冊とか。あえて書かなかったこともたくさんあるし、スプレッドシートにまとめてるやつとか、通り過ぎていった学びみたいなのもいっぱいあって俺はずっとしらふだから大体全部覚えてる、何もしてないようでなんやかんや充実してるような気がしてきた。

 

20250130
寿司日。多すぎるよね。今日は友達とふたりで行った。4日前に行ったとき店先に「幸運巻きずし予約受付中」って書いてあったの見てて、今日はそれを予約しに。
俺は関東育ちだから恵方巻ってよく知らなくて、勝手なイメージでチャラいもんだと思ってた。関東以北で育った同世代の人だったらこの感覚わかってくれる人もいるかもしれないけど、俺たちが子どものころの節分っていうのはストイックに豆まきだけをする日だから、1月末くらいになったら川越の乾物屋に行って大豆を買う。そしたら厚手のコート紙のツルツルな面にカラーコード#FF0000の真っ赤な鬼の顔が印刷されたお面がもらえるから、鬼役の人がその両脇の穴に臭い輪ゴムを通してくるんとくぐらせたやつを耳にひっかけて鬼になる。最初はお父さんが鬼役だったけど、病気で入院してからは鬼役がお母さんに入れ替わって、お父さんが死んじゃったあとはうちには鬼がこなくなった。でも別に節分が来なくなったわけではなくて、ある時期までは毎年豆まきを続けてた。鬼はいないから、玄関の何もない空間に向かって豆を投げる。と言っても、もったいないから何粒かぱらぱら投げるくらいでさっさと終えて、自分の年齢の分だけ豆を食う。いうて10粒とか12粒とかだから腹の足しにもならないんだけど、ポリポリ食べて、それ以上食べちゃいけないっぽいからもったいぶってずっと嚙んでるともちゃもちゃしてきて、毎回この一連の全てが一体何なんだ……と思いながら玄関掃除するっていうところまでが1セット。それはもう、鬼のようにストイックな行事だった。
中学生くらいのときだったかな。ある時期から突然、めざましテレビや夕方のニュースみたいなまぶしげな番組でまぶしげなキャスターやまぶしげなタレントが「てえへんだてえへんだ、恵方巻だ恵方巻だ」って騒ぎ始めて、それはもう不自然極まりない出来事だった。おいら江戸っ子だからさ、太巻き自体は割と好きだよ。いまだに結構食べんだよ。でもよ、東京のコンビニやスーパーに並んでる恵方巻ってのは冷たくて固くて重たいの。少なくともそう見える。その上、テレビ越しとか、コンビニのポップ越しに言われる「方角がどうの」とか「開運がどうの」みたいなのもうさん臭くてうさん臭くて。特に子供の頃のおいらはそういうのすごい嫌いだったからね。てやんでえ(何言ってやがるんだ、ええ?の略)べらぼうめ(常識的ではないこと)って具合だったわけよ。なんやかんや言いがかりつけて物売ろうとしてくんじゃねえってよ。それから20年以上のときが経ち、紆余曲折を経さしてもろて、わいはなにわの男になったさかいに、西の文化を知る機会も増えましてん。
そんで最近調べたんだけど、恵方巻ってもともと大阪発祥の文化らしくて、江戸時代後期くらいからあったっぽい。うちのあたりだと恵方巻とは呼んでなくて、丸かぶり寿司とか言ったりする。指定された方向を向いて、一言もしゃべらず願い事を思い浮かべながら食べきるらしい。結構ストイックだ。友達も子どものころから毎年丸かぶりしてたらしくて、なんか俺もやってみたいなって思えてきたので、予約してみた。この辺の感覚に対しては自分はかなりラガード的な姿勢を貫いている。流行だったらやらないけど、伝統や文化だとわかれば急に自分ごとになる。今年はなんかの具合で数十年ぶりにこよみがヨレて、2月2日が節分らしい。寿司屋が「すししんぶん 大阪」なる大阪の寿司屋だけに配られる機密情報が書かれた新聞を見せてくれた。そこにはこよみがヨレた理由についてはあんまり書いてなくて、とにかく今年は2月2日で、これがいつまで続くかっていう情報が書いてあった。すししんぶんがそう言うなら寿司屋はそれに従うし、すしやがそれに従うなら俺たち常連客も従うしかない。
↓よく行く店でたまご買ってるヤマ

 

20250129
まあまあの調子。中の下くらい。一応8000字くらい書き進めたけど、経済観に関する話の流れでとあるトランスジェンダーの人の話になって、そこから個人の経験談に飛んで、さらに一般的なマーケティング理論の説明して、それらを全部前提にして本筋に戻るみたいな構成になってて、自分としてはある結論を出すために全ての話が必要だったから書いたつもりなんだけど、さすがに話が飛びすぎてて誰もが混乱する気がする。何日か寝かせてから読み返したらボツにしそう。
っていうか昨日の日記もくそ長かったけど後半とかなんも考えずにセミオートで書いてるときの文章って感じで俺が読んでも混乱した。昔ステージ照明のバイトしてたとき、たまに居眠りしながら働いてたんだけど、眠ってる間もどういうわけか手だけはしっかり動いてた。割と仕事に厳しい音響さんとペアを組んでる時期も、ヤマザキは気失っててもちゃんとリズムに合わせた照明ができてるからってことで怒られることがなかった。というかそれは正確には居眠りじゃなくて、度を越えた大音量の重低音を長時間食らい続けてちょっとした脳震盪になってたからで、半分くらいはその人のせいだから別に怒られる筋合いないんだけどな。久々に思い返したらあの状態めっちゃ気持ちよかった気がする。やっぱりスラッジとかドゥーム系のバンドのときになりやすかった。箱の形状とかスピーカーとPA卓の位置関係とかも重要なんだろうな。良い経験させてもらった。
昨日の日記も風呂上がりで深部体温を放熱しながらパソコンに向かってたから、相当うとうとしながら書いてた記憶があって、あの頃みたいに気失ったまま手を動かしてたのかもしれないなって思った。だとすると、当時の照明も昨日の日記くらいには無茶苦茶だった可能性が高い。
そういえばさっき、風呂上りのホカホカの状態で原稿の続き書いてて、なんか調べごとしてたはずなんだけど、気付いたら空調服について調べてて、しかも欲しい奴3つに絞ってお気に入り登録してた。途中でハッと目が覚めて、なんでこんな寒い夜に空調服見てるのかもわからないし、絶対いらんやろって思ってお気に入りから消した。もう風呂上りにパソコン触らないほうが良いかも。大人しくお皿洗って寝ますわ。

 

20250128
昨日一人でぶりしゃぶキメた帰り道に八百屋と豆腐屋に寄って上州ネギと豆腐を買っておいたので、朝から焼いて鍋にする。あと緊急時用にバナナとヨーグルトも買ったので、これだけあれば外に出なくてもしばらく満腹だ!がはは!参ったか!
それにしても上州ネギはうますぎて危ない。
そんなわけで今日もそれなりに上々な調子。一昨日からやってる原稿の整理を進める。主に長文コンテンツの全体案を練り直してるんだけど、まあまあ固まってきたので、今日はだいぶ前に書いた原稿の中からまだ使えそうな部分を洗い出したり、今回は使わないであろう文章をいつかコラムの依頼が来たときに再利用するためのリサイクルボックスに入れるなど。このリサイクルボックスっていうのは結構重要で、うまくハマると依頼もらった日のうちに原稿を提出できたりするので、かなり良い。作業が楽、とか原稿早いと思われて次につながる、とかそういう話じゃなくて、とんでもない早さとクオリティで担当者をビビらせることができるのが良い。こっちはお金とか名誉とかでやってなくて、世の中を混乱に陥れるためだけに働いているのであるからして、その現行の第一発見者となる担当者は、あらゆる角度からできるだけ多くビビらせたい。
まあそんな感じで今日も色々やってたけど、ちょっとだるくなってきたタイミングでお散歩リフレッシュ。特に買うものもないので商店街を貫通し、前からチェックしてたウォークインOKっぽい床屋に入って髪を切ってもらう。いつも自分で見える範囲は大体自分で切ってて、そうじゃないときも友だちか姉に切ってもらっていたので、お店で知らない人に切ってもらうのはもう15年ぶりかそれ以上だと思う。そんなことに踏み出せるってだいぶ調子良いよな。セロトニンの量を自覚する。
今日入ったのはインディーズの1000円カットみたいな店で、表にでっかく「メンズ1500円」って書いてある。そんな店入ったことないから内心だいぶ怖気付いてたけど、頑張って当たり前みたいな顔して入った。チャチャっと席に案内されて、おしゃれでにこやかなおばちゃんがスパパパパっと切ってくれる。洗髪は無しで掃除機みたいなやつで頭を吸われた。こんな感じで良いですか?って鏡見せられたけど本当は全然わからなくて、それでも頑張って当たり前みたいな顔して「完璧です」と答えた。お会計はもちろん1500円でだいぶ安い。姉に頼むと家族割引してもらっても4000円以上払うし、姉もお客さん切ったほうがお金もらえるし、お店的にも俺みたいな汚れねずみが来ると雰囲気が壊れてしまうので、全員損した感じになる。でも今日の店なら誰も損も得もしてない感じで良い。商店街経済って大体こんな感じだよな。これが良いよ。とりあえず帰って鏡見たら仕上がりがめっちゃ粗くて良かった。切り残しとかじゃなくて、怖いから手を付けなかったみたいな場所がある。それがまたいい味出してる。本当に。
なんか、もうこの考え自体が自意識過剰なんだけど、美意識っていうか自意識みたいなものが試されてるような感じもあって、世の中ではカット6000円とかそれ以上の店も少なくない中で、ここは1500円だからこっちもそんなにわがまま言うつもりないし、ある程度のスピード感もキープしなきゃいけないとは思いつつも、それでも譲れない部分とかを最低限のこだわりとして伝えていくわけです。そうすると、自分は自分のビジュアルイメージの中で、今期はこの部分を担保したいんだなみたいなのが見えてきたりして、でもそれが早さやコミュニケーション量の制限に引っかかってうまくいかない部分もあったりして、でもそうなると逆に諦めついて新しい自分に突入したりするわけです。
一昨年かな。東京の友達が妊娠して、お金とか安全とかいろいろ考えてその人の母親が住んでる京都で産むことにしたらしい。でもそこは母が借りた新居であって実家じゃないから馴染みの街とかではなくて、しかも郊外と田舎の間くらいの場所で、生まれるまでの数週間本当にやることがなくて、とにかく娯楽がないからもう1000円カット何回行ったかわからんわ。っていう話を聞いて、そのときは全く意味が分からんかったけど、今なら少しわかるかもしれない。1000円カットっていうのは自分の心と向き合う場所であり、それはいわば試練のようなものだったんだ。お産を控えた友達も、いま新しいことに挑戦しようとしているこの俺も、ある種の正念場みたいなものを迎えているという点では共通している。そんなふたりが1000円カットの門(自動ドア)を叩いたのは自分の心と向き合うための必然的な流れで、それはもう試練というよりは通過儀礼みたいなものだったのだろう。そう考えると、俺のあとに来ていた青年も、隣で白髪染めしてた女性も、みんな何かしら大切な局面を控えていてそこに集まったということになる。感慨深いよ。
↓焼かれた上州ネギ。上州ネギは下仁田ねぎの甘みととろみ、長ねぎの白い部分の長さを兼ね備えたハイパーねぎ。ネギは切ったところから辛くなるので、あんまり切らずに焼いてから切って鍋に入れると甘くてうまい!

 

20250127
寿司が効いたのか、明らかに調子が上がってきてる。ただ、これはだいぶ前からなんだけど、自炊のときの基本メシみたいなメニュー(ごはん220gと大量の煮物)だとたくさん食べてもすぐに腹が減って低血糖みたいな状態になる。汁物とか漬物みたいなの導入して食べ順を調整すれば簡単に改善されるんだけど、今日はまあ行けるっしょみたいな感じで油断して玄米と煮物だけ食べてたら案の定16時にダメザキに戻ってしまった。家には煮物と米しかないから、とりあえず外に出て買い物しようと思ったけど、低血糖すぎて顔が濡れたアンパンマンくらい弱ってたので、通り道にあるいつもの寿司屋に入りそうになったけど、昨日も入ったし調子乗りすぎか、と思って定食屋に駆け込む。その定食屋は商店街からちょっと離れたところにあって、商店街研究と関係ないからここにはあんまり書いてないけど実は結構通いこんでて、寿司屋とあんまり変わらないくらい行ってると思う。ふたつを足したらヤマの外食の9割くらいを占めるかも。その店は凛とした態度が美しいお母さんとオール巨人みたいな声の息子さんのふたりでやってて、その日の朝に市場で選んで仕入れた食材を完璧な調理でもって100点の定食を作ってくれる。さらに小鉢も2種類選べるし、手作りの漬物とみそ汁も付いて、おいしいご飯がお代わり自由で、温かいお茶も都度いれてくれるし、日替わりメニューで季節を感じさせてくれるし、本当に最高なんだけど、いつも800~1000円しか払わせてくれないことに俺は腹を立てていた。今日は日替わりメニューのところに「ぶりしゃぶ」って書いてあって、もういくらかわからんけど行ったろうと思って頼んだらオール巨人師匠が誇張なしに「うひひひ」って嬉しそうにめちゃくちゃ立派なブリを見せてくれて、「どのへん食べたい?」って言うから「しっぽ」と答えてしばらく待ったら、ちっちゃいカセットコンロと肉厚で立派な真昆布が入った土鍋、きれいなブリと野菜と豆腐の盛り合わせ、その他の小鉢、漬物とご飯、って一個ずつ持ってきてくれるんだけどそのたびに「うひひひひ」ってなんかめっちゃ嬉しそうだった。いつもはオール巨人と全く同じ高いのか低いのよくわからん声で「はいお待たせ!」とか「おおきに!」くらいしか言わないのに、今日はずっとフヒフヒ言ってて、きっと良い食材仕入れたから誰かに食わしたくてたまらんかったんやと思う。俺も喫茶店やってたとき、COEランクの付いた豆が手に入ったタイミングでスペシャリティコーヒー好きな友達が来たりしたら飲ましたくてたまらんかったからその気持ちわかるけど、ここまで喜び隠しきれないことないからめっちゃ可愛い。愛おしかった。
ちなみにお会計は2100円で普段の倍以上やったけど出てきたものはもっと上のランクの食べもんだったし、いつももっと払いてえ~って思いながら帰ってたから全然良いっていうかむしろ金払えて嬉しいくらいなんだけど、寿司屋スルーした理由とかがわからんくなったのと、あまりにうますぎて満足してしまって一日が完結してしまった感じがあって、完全に果てた。あらゆる全ての狙いが外れたけど、まあこういう体験みたいなものを求めて外食してるとこあるしな。最高や。
いや今日はそうじゃなくて、低血糖で駆け込んだだけやった気がする。ラッキーと言えばラッキーだが、すこしやりすぎてる感も。しばらく休もう。

 

20250126
寿司日。日曜で混んでるやろからやめようかなって思ったけど、昨日までずっと頭の回転がダメだったから今日は背鮨の陣(はいすしのじん=すし食った日くらいは頑張らないとあかんよな、という気持ちになること)の状態まで持っていって何が何でもやることやってやらあみたいな気持ちで半ば自暴自棄気味にいつもの寿司屋に凸。即座に蒸し寿司を注文。1500円。今日も忙しそうやったけど、焦りながらもちょこちょこ話しかけてくれる。ラブい。おととい板場で仕込みしてたら夜中にガシャンと聞こえて、表に出たらべろべろに酔っ払った人が入口のガラスを割って逃げようとしてたから、静脈瘤の上流階級である大将が黒い足ふりまわして追いかけてとっ捕まえたらしい。「とっ捕まえた」ってはっきり言ってたのがなんかよかった。すぐ警察呼んだけどその間にも逃げられそうになったからまた取り押さえる。無事警察に突き出して、弁償もさせたったという話。昔から付き合いのあるガラス屋が翌日すぐに来てくれて直してくれたけど、開店時間には修理が終わらなくて昼間ドア開けたまま営業してて、一見さんっぽいお客さんが来たから「ドア直してる最中で寒いけど良いですか」って言ったら帰らはったとのこと。以上、ヤマ行きつけの寿司屋ニュースでした。

 

20250125
まだダメさを引きずってる感があるので明日以降がよくなるように体動かしたり事務作業したりなどの調整日。資産の整理を進めつつ、今年はどういう方針でいくか考え直したりなどする。これ調子悪いときにやることかな?
一応20代のときに資産の50~65%を海外資産にしようっていう方針を固めてそれを基本にちょこちょこ細かい部分を調整しながらやってきたけど、ここ数年の金融バブルと円安の影響もあって、前営業日のクローズ時点で資産の78.6%が海外資産になっている。もうそれで良いかなって思ってる。理由としては、最初に方針を決めたときよりも日本経済の好材料が減ってるように見えてその分信用が落ちてるっていうのと、当時よりは個人資産の総量が増えてるから割合で考えるのをやめて「総資産-生活防衛資金-IPO用の予備資金」を全部海外資産にしても良いのではないか、という2つ。このまま進んで2:8を割っても精神衛生的に悪い感じしないもんな。当面はそれで。6月くらいまで様子見ながら試行錯誤して2020年代後期の理想形みたいなものを決めて、ある程度まで理論的に説明できる状態にしておきたい。いまもできてるっちゃできてるけど、もうちょい奥まで行って良い。
言うてる間に1月の終わりが見えてきて、そろそろちゃんと活動したいので明日の起きた瞬間のフィーリング次第で寿司食って仕事するか諦めて遊びに行くかを決める。自分にとってはどちらも魅力的な選択肢だからどう転んでも良いんだけど、世の中のためには前者が良いよな。いや、本当にそうかな。どうかな。まあどっちでも良いか!がはは

 

20250124
朝起きた瞬間からぼわっとして何もかもダメな日だと悟ったが、念のため昼めし食ってからもう一度、いけるかヤマ、やれんのかヤマ、と聞いてみたけどダメなものはダメっぽかったので素直に諦めて商店街に出て野菜とひねどり買って大鍋で約5㍑の煮物を作る。これで10食分かそれ以上の主菜が賄えるので、この先1週間は楽できる。体調はだいぶ回復してきたけど頭の回転は万全という感じではない。これくらいはいつものことでもあるとはいえ、昨年11月から12月にかけて調子よかっただけに残念だ。またギア1から入れ直しって感じ。まあこればっかりはしゃあない。俺はみんなみたいには働けないけど、こういう特性があるのも悪いことではないと思う。いろんな状態の自分が観察できる。視野が広いよりも、視点が多いほうが良い。
自炊の話に戻るけど、最近の我が家には北田辺の東米穀店で買った白米と、南田辺の花谷米穀店で買った玄米という2種類の米が備えてある。大して味とかわからないくせに2種類もあって生意気だ。白米は岡山産ヒノヒカリの新米で、これは自炊史上では一番好みかもしれない。食感も良いし、コシヒカリのけだるい重みみたいなやつがない。しかも割と安いし手に入りやすくて最高。好き。玄米は普段お世話になってる花谷さんに玄米ないすかと聞いたらめちゃくちゃ目をじっと見られて、すっと渡されたやつで、だいぶ荒々しいけど炊く前にちゃんと水替えたり塩入れたりしたらかなりおいしい。しかもどう考えても栄養がある。割といい値段したけど、お会計のときに「米いるか?」っていう、いるに決まってるわかりきった質問をされてさらに玄米をもらったので、結果的には安かったかもしれない。普段はひとりで玄米食べてて満足してるけど、やっぱりちょっとだけくせがあるので友達が来たときは白米出してる。お米以外はいつも通りの普通のおかず。なんか江戸時代の農民がやる客人のもてなし方みたいで良いよね。

 

20250123
朝起きて家でひとりでお茶してから友だちと合流して京橋でごはん食べて商店街歩きながらお茶してお茶してお茶。有名な純喫茶で飲んだ珈琲が渋くて薄くて酸っぱくて、小声で「シビー」とか「ウシー」とか「スペー」とか言い合いながら飲んで楽しかった。老舗の有名店で飲む珈琲はやっぱこれじゃないとなみたいな気持ちもあるが、たまにめっちゃうまい店もあるにはあって、本当はそっちのほうがうれしい。まあでも世の中に両方ないとどっちも楽しめないんだと思う。ふたりとも両方の存在わかってるからこそウシーとか言って笑い合えるのだ。がはは
口直し的な感じで寄った喫茶店の隣の席にいた中年女性と初老男性が「もう、そんなに見つめないで」みたいなことを言い合ってて、無料でドラマ見れてるみたいで結構良かった。最後のほうで男性が「これとかどうや?」って言いながらスマートフォンの画面を女性に見せてたんだけど、こっちにも見せてるのかというようなだいぶ思い切った角度だったのでおとなしく画面のぞかせてもらったらヨドバシ.comで真っ黒な電マ買おうとしてた。不意なすけべに驚いて普通に声出してわろてもうたのでたぶん気付いてたとは思うけど、それでも女性はこっちのことなど気にすることなく「そういうのは通販じゃなくてお店で二人で選んでその場で買って帰りましょうよ」とか言ってベテランすけべの流儀みたいなもん出してきてなんか冷めた。特命係長みたいな深夜ドラマだと思って観てたらペイチャンネルだった、みたいな冷め方で冷めただけで、返答としてはめっちゃ良いし、相当いなせなお人ではあるよな。かっこいいよ。

 

20250122
ビジネス書の要約サービスをやってるフライヤーが来月上場するらしい。8年くらい前から存在は知ってたけど、そこまで育ってるとは思わなかった。すごい。それにしてもみんな要約好きすぎやろ。どんだけ時間ないねん。と思いきや、考察もめっちゃ好きですよね。めっちゃシンプルにとらえると薄さと深さが同時に求められているって感じ。そう考えると俺は浅くて分厚い。だがかわいい。
今日は朝からラジオの編集。サクユミ側のデバイスのトラブルで後半録れてなかったんだけど、ヤマ側のデータは残ってるから「おっ、放送禁止用語じゃん」とか「はじめてピー入れることになるでこりゃ」とかひとりで言ってるみたいになってて、どっちにしろカットだっただろうからok。そのときサクユミが何を話したかは覚えてない。がんばれば記憶をたどれるけど、ちょっとうやむやにしとくくらいでちょうど良い。ただ、俺たちオンでもオフでも喋りまくってて、どれがオンでどれがオフで喋ったことだったのかすらうやむやだから、すでにラジオで喋った内容をあたかも新情報みたいな感じで発表してたり、まったく同じこと喋ってたり、みたいなことが平気で横行している。リスナーの人からしたらちょっと怖いと思う。もうサイケデリックコンテンツだと思って楽しんでください。

 

20250121
朝さむくてお布団でもじもじしてたら、昔からのフレンドでいま銀座の高級キャバクラで働いているベイビーから「いまやっとアフター終わったんやけどもうお酒飲みたくないつらい辞めたい」みたいな電話がかかって来たがそんなん全然やめて良いに決まってて、そう、この世でいちばん大切なコトはやっぱりタイミングだと思うべなといういにしえからの教えにもあるように、我々にはタイミングすなわち己の時間(タイム)や身体(タイミングが来たときに動ける状態)が重要である。ついでに言うと、LSPが生前「タイム(時間)をかけ、タイム(香草)を料理に使えば生きるタイム(時間)もよく使える。」っていう言葉を残してたので、テキーラやワインをやめて香草入りのクラフトジンとかにしたほうが良いかもしれない。知らんけど。そんな流れで「仕事なんかほかにいくらでもあるやろ」って言おうと思って、時給いくらもらってるのかきいてみたら「1万5000円」と返ってきてびっくりして叫んでしまって窓が割れた。まさか時給で、しかも高いほうで笑かしにくるとは。やられたよ。僕はいま、大阪の古いボロ家の凍えるようなすきま風に手をかじかませながらこの文章を書いています。
夜はニューヨークのサクユミと電話を繋いでラジオの収録。なんかいろんな話をしたけど、トークイベントとお金の話の流れで、企業や自治体から先生として呼ばれるトークイベントなら5ベイビーとか、場合によっては20ベイビーくらい頂けたりするんだけど(その分準備にも時間がかかる)、普通に本屋さんとか出版社から著者として呼ばれるトークイベントは主催者も会場も別に誰も儲かってなくて、俺たちがもらえる報酬は1ベイビーから2ベイビー+交通費って感じで、移動時間や準備時間考えると赤字になるのが当たり前だったりして、しかもそういうイベントの依頼のほうが先生仕事よりも依頼が来やすい。そこで黒字を出すにはマーチを持ち込むしかないよね、みたいな話が一瞬出て通り過ぎていったんだけど、まあ確かにogobroのときみたいな勢いでひとつの会場につき3ベイビーとか4ベイビーとか物販が売れるなら、いままでお断りしてたような採算取れない気味のトークイベントも受けられるパターンが増えるかもしれないし、楽しめる仕事の幅も増えるかも。アイドルでもないので個人のグッズってイメージ湧きにくいけど、その辺の解決策も一応思いついてはいて、今年はそれやるつもりなんやった。ちょっと忘れてた。まあその辺も含めて仕込みに時間がかかるから、今年はやっぱり仕事を頑張るしかない。ちょっと頑張って、また旅に出て、また寝込んで、数年働いて数年休むみたいな、そんなサイクルの人生や。たのしいたのしい。
関係ないけど、この前名古屋で男爵さん(DRINK ‘EM ALL/THE NESO)が教えてくれたマダムロスっていうバンドが気になっている。フェミニストでアクティヴィストでパンクな女性2人組らしい。ogobroばりに情報が少なくて、断片的な情報しか出てこない。ディガーとしてはそれくらいがそそられるよな。
↓THE NESO。男爵さんに会ったとき「本当はもっと木琴叩きたい」って言ってて、それを踏まえて観るとかなり味わい深い。がんばれ男爵~!いけ~!!叩け~~~!!