やまのあな

今月のヤマコン
4/26  いま個人店に通う意味 (トーク出演)
at MoMoBooks 大阪府大阪市西区本田4-9-13
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以下、日記置き場。
過去ログ溜まったら適当に消します。

 

2024/4/17
中国語の夢で目が覚めた。敷いた布団をなぜか使わずソファで縦になって寝ていたハオを起こし、最寄り駅まで見送る。パンクの人は布団を敷いてもなぜか使ってくれないことが多い。その足でホームセンターに行ってのこぎりの替刃を買う。帰り道で、すごい普通のおじさんがひたすら後ろ向きに歩いているところに遭遇した。線路沿いのまっすぐの道で、しばらくの間、目が合ったまま歩いた。家に帰り、抜根の続きをやっていたらヒートくんから連絡。また仕事で近くに来てるらしいのでランチに行く。車で駒川中野〜針中野の商店街に行って、たこ焼きや焼きそばや肉まんなどを食べ歩いたけど、全部合わせても駐車場代と同じくらいの値段だった。
車で移動中、後ろ向きに歩いていたおじさんの話をした。「子供の頃の自分だったら異常者だ、と素直に気持ち悪がっていたかもしれないけど、今だと、あれはパラレルワールドの自分や、と思ってしまって気持ちが悪がれない。」と言うと、「めっちゃわかる。まっすぐ行ってもうてるなあって思うよな。」と返ってきた。
まっすぐいってもうてるということは、自分の中にはそもそもその芽があるということで、それに抵抗していない人っていう意味になるので、つまり俺がパラレルワールドの自分って言ってることの本質を理解してくれてる反応だと思う。ヒートくんはどんな無茶苦茶な話をしてもなぜか芯を食った共感が返ってくる。本当にすごい。
↓更新されてました。おたよりくれた人たちありがとう!

 

2024/4/16
台湾のパンクバンド、共犯結構のハオがうちに泊まりに来た。「昔からアニメで観てた家そのまんまで、博物館の中にいるみたいだ」と、勝手に感動された。
最近何の音楽聴いてるか聞かれて、YoutubeでSnooperとかPrison Affairらへんをいくつか聴かせたら、「ヤマはEgg punkが好きなんやな」と言われた。初めて聞いた言葉だったので詳しく聞くと、2017年ごろからInstagramなどでEgg PunkとChain Punkという概念が広がっていると言う。今まで俺がポンコツのほうのパンクとか、スカムを地で行ってるやつとか呼んでたのがEgg Punkで、「ちょっとかっこ良すぎて聴けない」と評してたやつがChain Punkと呼ばれてるっぽい。
おとといの昭和40年代の話と同じで、自分が好きなものの集合体に名前が付くのは嬉しい。それ自体は美しい現象とは言い難いけど、探しやすくなったり、友達と分かち合いやすくなるから良い。
今日は丸一日、中国語と英語と日本語をたくさん使ったので、語学力が急激に上がったと思う。脳が焼き切れそうだけど楽しかった。

 

2024/4/15
最近引きこもり気味で調子が悪い。自分で淹れる珈琲も何だかまずく感じるので、気分転換がてら喫茶店に行って作業することにした。浅煎りのスペシャリティが飲みたかったので、商店街を少し離れて、隣町のほうにある小さなカフェへ。有名な焙煎所で10年くらい働いた人が30代で独立し、静かなエリアで古い喫茶店の居抜き物件を借り、良い豆を使っておいしいコーヒーを淹れるという、ごくありふれまくった普通の店。来るのは2回目。顔を覚えていたらしく、なんか嬉しそうだった。
音楽がレコードでかかってるんだけど、音や空間にこだわりがあってレコードにしたわけではなく、常連さんがこれを使いなさいって言って一式くれたからそれをそのまま使っているらしく、その背景に忠実な感じの音が垂れ流されている。スピーカーの配置が偏っているので、うるさい席とそうでない席があったりもする。たぶんチューニングもしてないので、中域が耳に当たって喋りにくい。ワンオペでレコード交換が間に合わず、音が途切れることも多い。レコードの欠点が全部出てる感じ。客席の椅子とテーブルの高さが合っていなかったりなど、目につく全てがノンポリなので妙に可愛げがあるっていうか、そのレコードプレーヤー一式をくれたというお客さんの気持ちも理解できる。自分のこういう口うるさい面と向き合わなきゃいけないという意味では一定の苦しさがあるが、これくらい適度に興味湧かない店のほうが作業には集中できるのかもしれない。めちゃ低のテーブルで捗りすぎたせいで首をちょっとおかしくした。
こんな感じの店っていま日本中にごまんとあるけど、50年後くらいには今のレトロ喫茶みたいな扱いになっていくんだろうな、と思った。途中、近所のおばちゃんが来て「外に捨ててあるサドルもらって良い?」と言って、不法投棄されたサドルだけ持ち帰って行った。俺はこの町が好きや、と思った。

 

2024/4/14
座学の基礎がないので、かなり遠回りをしている気がする。ノートの使い方も下手だし、字も下手だ。日本の商店街や庶民の経済に強く影響した出来事を時系列ごとにまとめたりしていくうちに、1965〜75あたりの資料ばっかり集めてることに気付いた。経済関連で重要な出来事が集中しているっていうのもあるんだけど、個人的にこの辺の年代が好きなんだと思う。家具も食器もオーディオ機器も、国産品はこの辺のものを集めている。いろいろと資料を集めていくうちに、60年代とも70年代とも言えないこの時代は昭和40年代と言うらしい、ということに気が付いた。当たり前のことだけど、個人的には大きい発見になった。

 

2024/4/13
図書館に本を返す。ついでに古本屋で本を買う。結構時間をかけて本棚を眺めてたんだけど、その間ずっと店員の女性に話しかけ続けているおじいちゃんがいて、のどかと言えばのどかなんだけど、やっぱりギャラリーストーカーみたいな側面がある気がして、自分にできることはなんだろうな、などと考えたが、ただしつこいというだけで別に不快なことを言っているわけでもなかったし、年に数回しか来ない俺よりはよっぽど常連客っぽい。関係性などにわからない部分が多く、難しかったので普通に本を買って家に帰った。
自宅の玄関先に雑草が生い茂っていて、元気な日に草むしりしないといけないな、と思いながらずっと放置してたんだけど、先週となりの家の子供に「草に水あげといたよ」と突然の報告を受けてから非常にむしりづらくなってしまった。
午後、八百屋でたけのこが安く売られていたので買って下処理などしてみるが、難しくて妙に時間がかかってしまった。下処理なしだとエグすぎて食べられないくらいなんだけど、灰汁を取りすぎるとスーパーで一年中売ってる水煮みたいになってしまって風味がなくなる。どれくらい残すのか、少しずつ切って食べて確かめながら自分の中の正解を探っていくんだけど、品種だけじゃなくて大きさや土の埋まり具合や掘り起こしてからの時間経過によってだいぶ個体差があるみたい。味見しすぎてベロの感覚がどこかに遠くへ行ってしまい、最終的よくわからない状態で終えた。難しい。生活の世界は難しいことばかりだ。仕事のほうが大変かもしれないけど、明確に正解があるぶん簡単ではあるかもしれない。

 

2024/4/12
今日も街は静かだが、心を鬼にして抜根チャレンジ。だんだん飽きてきたので道具を変えて、手鋸と手斧でやってみたけど電動のこぎりでやるのとそこまで速さが変わらない。しかし、なにぶん筋肉がないのでへとへとになるまでの早さが5倍速だった。だいぶ切り進めたところで、そう言えば関西に凄腕の庭師の知人がいることを思い出した。こんな汗水たらさなくても最初からお呼びしたら良かった気がしてきたけど、まあ人生経験として、一生に一回は抜根してみたいじゃないですか。今回は自分でやってみようと思います。
夜、遠くに住んでる友達と電話で世間話。大学の教員をやっていたんだけど、辞めて縫製の職業訓練校に通い始めたらしい。キャリアアップや独立した人の話より刺激になった。自分にもそういう選択肢があるっちゃある。福岡に住んでいた頃、大川まで行けば家具職人の職業訓練校があって、ちょっと気になってた。
電話したまま大阪の職業訓練校の一覧表を見てみたけど、プログラム言語やCADみたいなパソコンスキルばっかりで、会社の役には立つだろうけど、縫製や家具職人に比べると人生に対する直接的なリターンが想像しにくく、興味がわかない。一個だけ服作りのやつがあってそれは良さそうだった。いつも履いてるボロのズボンが新品同様になるかもしれない。リターンでかい。

 

2024/4/11
天気が良い。梅雨まであんまり時間がないので抜根の続きをやりたかったけど町が静かすぎたので諦めて資産形成まわりの雑務。株価的には微妙だが円安がいくところまでいっているので資産は若干の増加傾向。これまで資産全体の55〜60%前後を海外株にする方針で調整してたんだけど、今日の値で計算すると68.03%まで膨らんでる。割合で見ると+8.03%で誤差の範囲に見えるが、金銭価値で考えるなら俺の生活費1年分くらいズレている。今年から非課税投資の枠も増えたし、ちょっとだけ運用方針を変えてみようかなと思っているタイミングだったので少しだけややこしい。これまでどおり機械的に考えてやっていくわけなんだけど、その判断基準のカスタムが必要な局面。余剰分を貴金属や外国債に充てるという選択肢も一応出てきたけど、手数料・税金・流動性の3点を踏まえて考えると、NISA枠の最大値1800万に達するまでは投信とETF中心で進めるのが合理的か。一応これで仮決定。9月くらいにもう一回考え直す予定だけど、まあこれくらいシンプルでも良いかも。
昨日、友達と少しだけ驚安の殿堂ドン・キホーテの話になって、ちょっと行ってみたくなったので日が暮れてから天王寺のドンキに行ってみた。俺の思春期は池袋北口から川越街道までの平和通りとその周辺の薄暗い社会的雰囲気によって灰色にされたみたいなところがあって、その中心にドンキホーテ北池袋店(当時はパウ北池袋)があったから、そういう意味ではドンキに育てられたペンギン人間のようなものなんだけど、初めて入ったドン・キホーテ天王寺店は寸分違わずあの頃のドン・キホーテだった。
天王寺って大阪における第三の都市で、いろいろな面で池袋に似てる。江戸時代から栄えていた難波や新宿に比べるとルーツ感がなくて、あくまで鉄道ありきの都市開発ベースの街だから人が多い割に文化的な深みが少ない。地理的には奈良と和歌山からの入り口になっていて、埼玉からの入り口にあたる池袋とポジションが近い。京都や神戸と繋がる梅田や、横浜と繋がる渋谷に比べると機能的には遜色ないのに何となく地味さが目立ってくる。今住んでる場所はその再開発がギリギリ届いていない場所って感じなので、やっぱりちょっと地元に似てる。別にそういう場所が落ち着くとかいうわけでもなくて、たまたまここに漂着してしまっただけなんだけど、住居を探す時点で培ってきた嗅覚が使いやすかったりとか、そういう利点があったのかもしれない。
ドン・キホーテを一周しても買いたいものは見つからなかったけど、花粉症の薬を買って帰った。夜でも薬が買えるんだな。ツーリストらしき人が薬をたくさん買おうとして断られていた。個数制限があるらしい。困っている人に行き渡らなくなってしまうからかな。あるいは濫用防止か。