山のあなたの空とおく 幸い住むと人の言う
-カール・ブッセ(詩人)
三遊亭歌奴は落語『授業中』の中でこの詩を読もうとして何度も「やまのあな、あな、あな」とどもってしまうが、それがまた面白かったりする。
歌奴は吃音のハンデを抱えたまま大成し、のちに3代目三遊亭圓歌を襲名する。
きっと多くの落語家は緻密で完璧な桂文楽的落語を目指し、欠点を克服しながら鍛錬を重ね、長い時間をかけて山を登る。しかし歌奴や談志は欠点を抱えたまま自分のスタイルを貫くことで新たな道を作り、生きて神となった。
俺は先輩方から、正解は一つではないということを充分学んだ。
これは落語に限った話ではない。
すべてのいのちは多様性を持って生まれる。
強さの山を登り続けたサーベルタイガーは大昔に絶滅したが、いま尖閣諸島ではヤギが大量発生している。
小さいころの俺はいつもテストが100点で、家族は俺に亡き父の影を見て、大学に進んで公務員となることを期待したかもしれない。
しかし、実際には高卒で、小さな会社で働きながら、28歳になってもバンドを続けている。
俺が思うに、現代人の目指すべきは
「金持ちになること」
でもなければ
「社会の役に立つこと」
でもなく
「幸福になること」
である。
俺は10代で山に登ることをやめたが、山を下りたつもりはない。
今まさに山の奥深くへと続く穴を掘っているのだ。
たとえば、500円の定食と1万円のコースならば、後者のほうがおいしいものに出会える可能性は高い。
だからといって朝昼晩1万円の飯を食う日々を送るには、多くの稼ぎが必要だ。
このような生活を目指して金銭収入を重視した仕事をする場合、ときには「やりたくないこと」もやらなければならない。
俺のようなブロガーやライターと呼ばれるような人ならば、魂を捨ててキャッシングの広告やわけのわからないダイエット食品の広告を貼る。
本当に優れた物よりも報酬単価の高いものを勧めたいから都合の悪いことは隠すし、ときには嘘もつくだろう。
典型的なアフィリエイターといえばそんなイメージだが、俺はやりたくない。
人を不幸にするかもしれないようなものや、自分ならやらないようなことを勧める行為は生き方としてかっこ悪いと思うからである。
ではおいしいご飯を諦めなければならないのか、というとそういうわけでもない。
俺たちは掘ることができる。
掘って掘って掘りまくることで500円でも最高においしい定食屋を見つけるのだ。
俺は一流の店よりうまい立ち食い蕎麦屋を知っているし、フェラーリよりもかっこいい原付も持っている。
こうやって、何でも掘って掘って掘りまくって最高のものを見つけたい。
音楽や文章やアートや古着、旅に家に古書やZINE。いろんな方向から掘っていると、穴がどんどん大きくなっていって別の穴と繋がったりもする。
こうして山に穴を掘ることが人生になる。
大企業で出世して同窓会ですごいねって言われている奴がいる一方で、俺はいのちを燃やして穴を掘り続ける。
ここに現代の人間社会における多様性を感じている。
穴の中は暗い。
外からは何も見えないので、穴の外の人たちからは何一つ理解してもらえないかもしれない。
しかしそのようなことは気にする必要はない。
俺たちは掘る楽しさを追及して良い。すべきである。
山に登る人は登る楽しさを知り、
穴を掘る人は掘る楽しさを知る。
どちらも簡単な道ではないし、そこに優劣はないと考える。
俺たちは山に登っていたころのように雨に打たれることもないし日焼けもしないが、前も後ろも真っ暗で、道しるべだってきっとない。
それに、掘った先に何かがあるという保証もない。
だから俺はその穴をつなげる存在でありたい。
すこしだけ具体的に言えば、会うべき人同士を引き合わせたり、日の目を浴びていない凄いアイテムやサービス、良い会社の発掘と紹介など、自分の穴を広げながらも人の穴にも火を灯して行きたい。
他にも、お金のもらい方や使い方もできる範囲でサポートしていけたら良い。
これがこれからの俺のスティーロ。やまのあなに火を灯す存在である。
物書きと火付け役。
ライターとライターのダブルミーニングだ。
(キマった……)